はじめまして、宮森大地です。

このページまで足を運んでいただき、ありがとうございます。このページでは院長である私、宮森 大地(みやもり だいち)の半生や整体師としての想いなどをご紹介していきます。

誰でもはじめて会う人間には多かれ少なかれ緊張するものだと思います。私も人と関わる仕事をしていますが、実はかなりの人見知りで、はじめて人と会う時は今でも緊張します。

そのため「事前に私(宮森)がどんな人間なのかを知っていただくことで、少しでも安心していただくことができれば…」と思ってこのページを作りました。

ご来院される前にぜひ、ご一読いただければと思います。少しばかり長い自己紹介とご挨拶になりますが、よろしくお願いいたします。

簡単なプロフィールは…
・1988年(昭和63年)1月3日生まれ
・やぎ座 O型
・趣味はヨガ、映画鑑賞、和装

宮森様

長男ではありますが、年の離れたふたりの姉(10歳上と7歳上)がおり、今思えば可愛がられて育ちました。写真を見てお分かりになると思いますが、おもちゃもいっぱい買い与えてもらい、親からも甘やかされて育ったと思います。

小学生の頃はどちらかというと大人しく、割とマジメな子どもだったと思います。この頃には水泳や野球をやっており、運動も勉強も特別な成績は残さないものの、そつなくこなしていたと思います。

また、甘いものが好きで「自分で作ってみよう」と思い立ち、お菓子作りをし始めたのも小学生時代でした。この頃に「宮森くんの作ったプリンは美味しい」とクラスメイトに言われるようになり、いい気になってたくさん作るようになりました。

「人に喜ばれると自分も嬉しい」という経験をしたのは貴重だったと思います。今でも時々趣味でお菓子を作ったりしています。


中学時代は陸上部に所属し、長距離を走っていました。ここでも特別な成績は残しておりません(泣)。優秀でもなく、問題を起こすわけでもなく、ただただ普通の(どちらかと言うと地味な)学生だったと思います。

しかし、高校に入って人生初の事件が起きます。最初に入学した高校にどうしても馴染むことができず、すぐに1ヶ月ほどで退学してその後に約3か月の引きこもり生活を経験します。

高校1年の夏休み明けにどうにかして新しく入り直した高校で、友人や先生方の協力を得て、無事に卒業しました。この時に人間関係の大事さや環境の大事さを学びました。

この頃から「何か人の役に立つことをしよう」と漠然と思い、母親と同じ理学療法士というリハビリテーションの専門職の道を志しました。大学時代もいろいろも勉強など大変でしたが、無事に卒業し、理学療法士になることができました。


理学療法士になってからは整形外科クリニックやデイサービス(医療法人社団 祐昇会 長田整形外科、デイサービスのぞみ、座間整形外科)で勤務していました。

正直なところ、私は理学療法士として特別に優秀というわけではありませんでした。特別に熱意を持っているわけでもなく、かと言って何かトラブルをおこすような存在でもなく、どこにでもいる普通の理学療法士でした。

そんなただ当たり前に痛みやしびれなどを訴える患者さんにリハビリテーションを提供している日々の中、理学療法士として3年目の夏、あるショックなニュースが飛び込んできました。

私の小学校からの友人が、ある難病を患ったという知らせです。

その病気はバセドウ病…のどにある甲状腺という臓器の働きが過剰になる病気で、体温や心拍数の上昇、ストレスにも過敏になり疲れやすくなります。

その時の私は、日々患者様にリハビリテーションという形で知識や技術を提供し、生活の支援をしている立場なのに、大切な友人のために何かをしてあげられる知識も技術も持っていませんでした。

そんな自分が悔しくて、情けなくて仕方がありませんでした。

「既存のリハビリの技術だけではだめだ。もっと他の、何か別の治療法はないか…」と模索し、現代医学とは違う東洋医学やオステオパシー(アメリカの伝統医学)、民間療法なども勉強していきました。

結論から言えば、友人の病気は治っていません。しかし、現代医学以外の勉強をした私の施術を受けてもらうと「大地の治療のあとは体が軽いよ」と、笑顔で言ってくれるようになりました。彼の笑顔を再び見ることができたとき、私は自分のやってきたことが無駄ではなかったと確信することができました。

また同時期には整形外科で働いていたので、腰痛、五十肩、膝に痛みを抱えた方などを多く担当していましたが、私はあることに気が付いたのです。それは、ほとんどの患者様は整形外科にくる以前に、内科や婦人科いった、体の中の問題を多く抱えているということでした。そして従来の骨格や筋肉に対する施術に加えて、内臓や頭蓋骨の施術を加えると、その効果は絶大でした。

つまり、骨の変形や筋肉の緊張・コリだけでなく、内臓の不調や精神的なストレスなども含め、全身のバランスが崩れた結果として、たまたま五十肩や腰痛になっていたのです。

その時に私は「整形外科にくる前に、救える人がいっぱいいるのではないか?」と思い、独立することをイメージするようになりました。もちろん、病院にくる方を救うのもとても立派な仕事です。しかし、私はより多くの方が、本当に苦しくなる前に救いたいと思いました。

そして2015年5月に、整体院すいっちを開院し、整体師になるに至りました。


越谷ヨガ

「体を良くするだけでなく、その先にある笑顔と幸せな人生を作る」「人生最後の日まで、自分の足と自分の意志で生きていただく」という私の理念を実現できるように、日々精進しています。

その延長として、毎月、医師や医療従事者、整体師の先生方に整体の技術をお伝えするセミナーを開催しております。私が持っている整体の技術が普及することで、もっと健康な人が増えることを信じています。毎月1回、大阪にて整体の技術指導を行っています。

また、一般の方に向けてもヨガの講師としても活動しています。

どんな形であっても良いので、少しでも健康な方が増え、個人個人が自分の健康の在り方を選べるようになってほしいという想いから、現在も活動を続けています。

ありがたいことに全国の仲間から声をかけていただけるので、まだ関東を中心ですが東京・神奈川・埼玉・千葉・長野・山梨・大阪でヨガイベントを開催させていただいています。

整体院内でも4名までが限界ですが、ヨガ教室をご希望の方に開催しております。


「整体院すいっちの“すいっち”って何ですか?」とよく質問されます。

“すいっち”という言葉は、私の師匠の言葉を頂戴しました。師匠は「僕は施術を通して患者さんの体にスイッチを入れるだけなんだ。それ以上でもそれ以下でもないよ」とよくおっしゃっていました。

これを言うと驚かれることもありますが、厳密に言うと私は人の体を治すことができません。治すのはあくまで本人の体の力なのです。私の仕事はお客様の体の中にある可能性を引き出す仕事だと思っています。

例えば、どこかの関節のズレがあったとして、それを私たちが修正すれば痛みや可動域は良くなるかもしれません。しかし、周りの筋肉に傷がついていたり、軟骨がすり減っていたとしたら、それがその場で回復することはありません。今ある状態の中で、最高の状態に導くのが私の仕事だと思っています。

施術を通して今ある最高の状態になれるための“すいっち”を押す。

セルフケアをお伝えして最高の状態を維持するための“すいっち”をお伝えする。

心身が整って、あなた様があなた様の望む人生を手に入れる“すいっち”を自分で押す。


そんな“きっかけ”を作る、という意味で“すいっち”という名前をつけました。

ちなみに平仮名にしたのは、独立を考えている時に担当していた患者さんに「ひらがなの方がやさしそうな感じがして良いじゃない」と言われたため、ありがたく頂戴しました。


長い長い自己紹介でしたが、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。まだまだ修行中の身ではありますが、これからも現状に満足することなく、少しでもあなた様のお役に立てるように、知識の蓄積・技術の研鑽に励んでいきます。

また少しでもお役に立てれば、と思いYouTubeにてセルフケアの動画や生活に活かせる知識のシェアなども行っています(整体院すいっちのYouTube)。

以下は私の半生と整体院すいっちにかける想いを動画にしたものですので、ご興味があればご覧になってください。